おきゝします。一人々々におきゝします。あなたは、人間としての誇りを、何処に置きますか。人間としての、喜びや幸せを、何処に置きますか。
真摯に問うて、おきゝします。
自分の痛みは、勿論分ります。自分の受けた悲しみや、苦しみも分ります。家族の者の悲しみも、自分のことゝして受けとります。友人や隣人の痛みも、自分の心配として受けとります。その受ける密度は、広がれば広がる程に、弱まるとしても、同じように体得出来るように努力します。引き寄せて引き寄せて、理解しようとします。
他の国の人の痛みも、悲しみや苦しみも、自分のことのように、自分に引き寄せて受けることが、それが人間としてのお互いの絆なのだと、そう思います。
人間としての誇りは、人間として同じく生きる絆のもとに、生まれると云い切れます。
この地球が、どれだけの天の恩恵のもとで、日々成り立っているのか。これ程明白な事実はありません。
光と空気と水と、自分達人間が、造り出したものではないものによって、人間は生かされています。
世界中のすべての人間が、この天の恩恵のもとで生活が成り立っています。
この地球に降りそゝぐ光や雨が、どれだけの恩恵なのか、すべての生き物にとって、どれ程の優しさをもって受けとめられているのか。それは今、生きている事実で分ります。勿体ない程の恩恵で、生きていられるのです。
しかし、もし天から降ってくるものが、光や雨でなく、人々をいとも簡単に殺戮出来る爆弾であり、武器であるとしたら。
今この事実が事実として、繰りひろげられているのです。
美しく可憐に咲く花に、国境はありますか。生々として野性に生きる動物、あらゆる生きとし生きる生物の生きざまに、国境はありますか。
人間の創り出した、すぐれた建物、美術、音楽等々。どの国であろうと、どの民族であろうと、すぐれたものゝ価値に、国境はありますか。
一輪の花は、一輪の花として掛替えのない存在として。
人間は何万年かかり、何十万年かゝって、今こゝまで生きて来ました。
その何十万年の生きた証しが、ボタン一つで人を殺すことの出来る、大量破壊兵器だとしたら、あまりにも悲しすぎませんか。
強者が、弱者を痛め、富者が貧者を蔑み、力ある者が力の弱い者の上に、蹂躙するとしたら。
この何十万年の人間の歩みが、一体なんであったのかと、唯々悲しくなりませんか。
愚かである筈です。
いかなる一人であろうと、この地球に生かされている事実は、かけがえのないものであると、自他共に自覚できませんか。
いかなる一人であろうと、その一人の全生活を、瞬時に抹殺する権利は、誰にもありません。
ボタン一つの引き金で、人のものを破壊し、殺し、痛みを与え、苦しみを与え、悲しみを与える権利は、いかなる者にもありません。人を殺す正義は成り立ちません。
人間としての誇りの解決策は、戦争の中にはあり得ません。
何十万年生きて来た人間の、解決策が、戦争だとしたら、あまりにも人間は、だらしがないと思いませんか。愚行そのものだと思いませんか。
力をもって他を制して、自他共に安らかな心地になれますか。人々に恐怖と戦慄を与えて、ともに安らかに生きてゆこうと、声をかけられるのですか。
破壊しておいて復興を、他を蹂躙しておいて、平和をと云う傲慢さ。正義の為には血を流してもよいと云う間違い、戦争なら民間人はいけないが、兵士を殺してもいゝのですか。兵士が殺されたら、残された民間人である家族はどうなるのですか。兵士なら殺しあえと、一体誰が教えたのですか。
文明の利器とは、最新鋭の武器のことなのですか。
私は片田舎で土を捏ね、飯碗や土瓶や花生けを造って焼いています。六十五年生きて来たのに、いまだに世界の経済の成り立ちの実態を、理解し得ていません。しかし世界の株を少数の人が動かしていると聞くと、その理不尽が分ります。世界の20%の人達が、世界の富の80%を所有し、残りの80%の人達が残りの20%の富を、分かちあっていると聞くと、その理不尽なことは分ります。
自分の痛みは勿論分ります。自分の悲しみ苦しみは、勿論分ります。しかし、本来人は人の痛みや悲しみや、苦しみも自分のことのように、引き寄せて引き寄せて分ろうとします。
一輪の花が、一輪の花として、美しくあるように、一人の人間の、人間としての価値はその人が生きてゆくその中にのみ、存在するとお互いに認めませんか。
破壊して殺すことは、その善意に反します。お互い認め合って生きませんか。仮に、好きでもなく、尊敬も出来ないとしても、生きていること、この地球に生かされている天の恩恵のもとでの、今を生きる同胞として、お互いのさゝやかな平穏は守りたい。
それぞれが、それぞれの個をもって個の上に立つ。この真実が、生きとし生きるすべてに与えられている姿です。そう創られ、そう造らされて、みなともに過去を生き、今を生きています。何十万年の人間の歩みは、今在りこの先もある筈です。
神よ、あなたは今も無言ですか。
自国ではなく、他国に押し入って、空から海から地平から、数千数万の弾薬を打ち込むのが、侵略でなくてなんと呼べるのか。
正義の真情をもって、君の国の民を救いに来たのだと、豪語するのはあまりにも悲しい。
しかし、侵略したいのなら侵略しろ、奪いたいものがあるのなら奪え。しかし、侵略しきれないもの、奪うに奪えないものがあることを知れ。この愚かな戦いで、力の差異のあまりにも違いすぎる戦いで、無残にも死んだ者、傷ついた無数の者の魂は、すべてを見た筈だ。なんと愚かな行為であることか。最新を誇る精密兵器で、生命を奪い、体中に残る弾片の苦しさを、あなた方はなんと労れるのか。家を直撃され、家族を奪われ、両手をもぎとられた少年に、君達を救いに来たのだと、手をさしのべるのか。親愛の情で、握手出来るのなら握手をして見ろ。
民に責任はない、悪いのは指導者だと云うのなら、指導者と指導者同志が話し合え。徹底的に、血の出るまで話し合え。しかし手を出すな。武器を使うな。何十万年の人類の歩みが、とことん相手の意見を聞けなくて、なんの進歩だ。決して武力を使うな、武力を誇るな。民を殺傷するな。民の財産を打ちこわすな。例えどんなさゝやかな家族の和であっても、決して決して、うちこわすな。他人の痛みを知れ。
国と国との境界など、いらない。人間として人間同士の心のゆききがあれば、それでいい。自他ともに認めあい、尊重出来ればそれでいゝ。他国の、しかも愚かな傲慢な最新兵器を誇る国によって、侵略されたあなたの国の民は泣いている。民同士、時に銃を向けさせ略奪し強奪し、民の心をずたずたに陥れさせていることは、世界中の人が見ている。
小国でも、長い長い歴史の中で誇るべき文明をもったあなた達は、貴い魂をもって、こゝを脱出して下さい。
世界中の人が、心からそれを待っています。
執筆 2003・4
掲載 2003・7
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