第 5 期

第 14


今思えば、あるかなしかの うつゝの話

母と娘の対話 (二)其の四十


「お前に会いたい、という人が見えたよ」
「どなたかしら」
「上のお姉さんの友達で、やはりお父さんを早くになくして、寮で一緒だった人だよ」
「あー、分ってよ。そう、私に。どうしてかしら」
「あんたがどんな人になっているか、見たいそうだよ」
「私なんか駄目よ。会う程の値打もないわ」
「まあそう云わず、会える時には会っておくもんだ。あの時に会っておけばよかった、と思う時はあるもんだ」
「そうね、優しいいゝお姉さんだったわよね」
「今でも優しいよ。優しさは自づと身につき、自分につきそうようにあるもんだ。いゝもんだね。言葉の優しさだけでもたいしたもんだが、あの人の優しさは、言葉じゃないね。身のこなし一つにも現れている。人への心遣いそのものにあるのだろう」
「聞いただけでも分りますよ。そういう人は、いつまでもこちらの心にも残るわ」
「云った言葉は忘れるけどね。姿がいつまでも、ぼんやりとなったとしても残るね。映像を見ているようだ」
「私は無骨よ」
「無骨じゃあるまい。でも波の上下がありすぎる。穏やかに寄せているかと思えば、突如打ちくだく波は高くと」
「そんなことはないわ。私は自分では波の少ない人間で、面白味に欠けていると思ってよ」
「いやいや謙遜はいゝよ。お前の原動力はその波動にあると見ていたが」
「波と云えば、不思議でしょうがないの。波が何で起って、どうして陸へ陸へと寄せてくるのか。いくら教わっても不思議でしょうがないわ。波の満干も教わっても、頭の中で整理出来ないわ。電波でも一緒。今だに電話やラジオ、テレビの仕組みが分らない」
「頭がついてゆけないと云うのは、おかしな事実だね。わたしもチンプンカンプンのことが多いね」
「その分野の発明、発見や学者の人に女の人はいるのかしら。当然いるわよね。自分が駄目だと女の人全般が、駄目だと思うのは、傲慢ですものね」
「脳の出来、不出来はどうしようもない」
「親なのに、まるで自分のせいではないみたいね」
「そりゃそうだ。すべてが与えられていて、自分に任せられている部分は僅かと違うかい。その僅かがまた大きく伸びる人と、僅か故に伸びない人もいるしね」
「時々、不公平に思ったりするわ」
「同じ姉妹でもね、違いすぎることがあるからか」
「まあ云い出すと、お母さん、自分に還って来るからやめた方がいゝわよ」
「結局親のせいか。親だってどんな子供が生まれてくるか分らないんだよ。誰か本当は全部知っている人がいるんだろうか」
「人間は植物や動物の品種改良のようなことは出来ないわ。しない処に人間に価値があると思うわ。もししたら、ものすごい、人間に対する冒涜よ」
「道徳的には当然出来ないよ。けれど、医学の分野でしていると思わないかい」
「遺伝子操作のことね。恐い話だわ。病気に対して人間が弱くなってしまい、その為の治療なら、なんでも容認するようになってしまっているのよ。臓器移植もそうだわ。弱く悪い処はとりかえてでも、というように。分るわ。十分に分ってよ。でも真実の人間の姿としては、自分には分りません。神さまの分野と思ってよ」
「頭のいゝ人は先づ脳ありきだからね。そしてそれが実現出来てしまう」
「私らは頭にも浮んで来ないけど、かりに浮んだとしても、波にプカプカ、そのおもいで漂うばかりよ」
「おかしな表現だ。でも分るね。波に浮んでいるだけで、悲しげに漂っている姿は頭に浮ぶよ」
「私は脳と云わず、頭、頭と云った方が実感がともなうわ。何故かしら。想い出した、『頭をたゝいて噛んでみろ、ジンタクワンの味がする』と子供の頃、唄ったわ、あれなにかしら」
「頭でなしに、禿げだろう。ジンタクワンでなくシンタクワンだろう」
「なんだか分らずに、唯、囃したてると云うのは、子供の子供たる由縁ね。でも大人になっても分らずじまいなんだから、これはどういうことになるのかしら」
「なんの生長もないということだ。それに脳と云えば頭、頭という処が前世紀風で悲しいね。でも、もうわたしは脳とは云わず頭のせいにして十分だ」
「脳ではなく今や、左脳右脳だけでなく、間脳のせいだ。大脳皮質のせいだと、細分化されるわ」
「全体として捉えず、部分の欠陥のせいにするのか。正しいような狡いような狡猾なことになったもんだ」
「悪い処は治療しましょう。取換えましょうの時代に入ってゆくわ」
「おぞましいね。わたしらみたいな、唯頭がと云っていたら、馬鹿にされるね」
「大いに結構よ。頭の出来が違うのはどうしようもない現実ですからね。でも脳を使うのが人間と、限定されることには反対よ」
「お前が反対してもどうしようもないだろうが」
「それでいゝの。たった一人の頭の悪い人間の反対と云われてもいゝの。確かに人間の脳の発達はすごいに違いないわ。でも、それがすべて、には絶対反対よ。そうではないと人間らしい優しさがなくなるわ」
「人間の優しさは、脳のみから来るにあらずか」
「そう思うわ。動物の優しさと同根よ」
「するとわたし等は、人間であろうとする以前に動物であろうとする種族に属する訳だ」
「お母さんもいつも云ってるじゃないの。人間である前に、動物であることを忘れては駄目だと」
「そうだったかね。この頃はすぐ忘れる。自分の云ったことも、どうでもよく、すぐ忘れる。忘れるということは、人間の特権なのか、動物らしい自然さなのか、それも忘れて、唯々頭が波にプカプカ浮ぶでなく、沈むでなく」
「お母さん、弱気になったら駄目よ。気を強く持って」
「なんだい急に改まって、お前の優しさは、そんな頭の使い方なのかね」
「私の頭のことはもういゝわ。どうしようもないことよ。唯、お母さん、本当に気弱にならず、元気でいてね」
「もう一寸違う気遣いをしてほしいね。疲れたでしょう、お茶でも一服どうですか、とか甘いものを一口どうですかとか」
「そうね、その通りね」
   
 
 

2004

第5期 第14話 完



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