第 5 期 第 10話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話

母と娘の対話 (二)其の四十


「お母さん、人恋しくなりません」
「おやおや誰のことかい」
「秋は人みなよ」
「具体的にかい」
「それもいゝし、漠然と、あの人この人と」
「若いね。一寸前まではそういう若さを、うらやましいと思ったことがある。今一番ほしいものは若さだとか云った老社長の一言があるよね。老人には老人の若さがあるので、若い人の若さそのものを求めているのには一寸呆れたけど、わたしはもう、それは薄れたね。なにか皆ヴェールがかゝっているみたいで、特定の人を思ったとしても、ヴェールがかゝっていて、一日中その人のことばかり思っているという若い時の愚は、もうないね。お前はまだその愚があるのかい」
「一日中というのはないわ。それは結婚して子供が出来た時に終るのと違うかしら」
「想い出しもしないね。そんなもんだったかね。夢と現実の狭間に立たされ、現実をとるか」
「そんなドラマじゃなくてよ。ごくごく平凡な出来事よ、人一人々々のさゝやかな人恋しさはいゝものよ」
「男、女にかゝわらず異性同性にかゝわらず、年齢、職業、おいたちにかゝわらず、今ある立場にかゝわらずか、今はタダでは想い出せないね」
「それはどういう意味なの、タダとは」
「いや個人的な嗜好だよ」
「人と睦まじくする時でも、お金をかけて演出効果で場所も選んで、雰囲気を大事にというのと、場所など問題にならず、どこででも、唯会うことのみ、話すことのみを楽しむというのがあるわ。展覧会や美術館に一緒に行くと、この人とは合う合わないがよく分ってよ」
「ほう、わたしには経験のない事柄だ。一寸興味が出て来たぞ」
「深いことではなくてよ。お互い黙って歩いてね、好きな所、ひかれる所の前では足が止るわ。気がつくと、、すーと、お互い同じ所に静かに見ているのよ。また歩き出す。相手のいることは無意識下におかれて、自分のペースで歩いているのに、なにとはなくペースが合うのよ。無理がないの。相手に合わせよう、合わせようとする努力は皆無」
「目に浮ぶように話すけど、事実なのかね」
「一寸だけよ。一緒の仕事でもそうよ。例えば重いものを手渡す作業、一緒に重いものを持つ作業、暗黙の呼吸の合う合わないはあるわ」
「女だてらに重労働の例え話をするね」
「そういう人が好きなだけよ。背広姿で、白いシャツにネクタイ、汚れては駄目なような姿で、頭だけを使う仕事をする人より、汚れはもとより気にせず、汗をだす仕事をする人の方が好きなだけよ」
「お前はそうだったね、汗くさい仕事をする人が好きと云っていたね」
「人を平気で待たせる人。忙しくてね、一寸だけならと嘯く人。自分からは決して口をきらない人、挨拶だけは丁寧な人、意識的にすぐは同感、同調しない人、まだまだある筈よ。えーと、明らかに権威主義である人、時間ばかり気にして、タイムイズマネーを身上にしている人、すぐに引き受けることを愚だと思っている人、…お母さん聞いているの」
「聞いてないよ、続けなよ」
「そう云われると話しづらいわ。でも、組織の上の人に変に媚びる人、変に反抗する人、隙のない服装で身をとゝのえる人、また服装で人を見る人、天然、自然、生きとし生きる動植物にはあまり興味を示さない人、流行を大事な自分のセンスだと思っている人、仕事には貴賤はありませんよと嘯く人、すぐ護身に廻る人」
「おやおやきりがないみたいだね。要はそういう人がみな好きな訳だ」
「わざと変な意地悪を云う人、頭の切れることはいゝけど貪慾の人、貧乏の人を低く見る人」
「やっぱりそれは要するに、お前さん自身の護身になるのと違うかい」
「結局お互い、そういうことなんでしょうね。自分の穴に自分が落ちるようなものね。でもいゝのよ。自分の掘った穴に自分で落ちるのだから。他人に落とされるのは惨めよ」
「いや、人に落とされたと思うだけで、結局は自分の穴に自分で落ちているだけだよ。お前の長い話を聞いていると、そんな気がしたね。お前は実にお前さんらしく生きている。生きる以外に道はないという感じがしたよ」
「みなそうなのよね。自分のことの最大の責任者は自分自身よね」
「でもそれが分っても、跪き、へまをしそれでいゝじゃないか」
「私はへまの名人よ」
「自慢することじゃあるまい。勘違いするのは頭がわるいんだよ」
「あー言われてしまったわ。でも事実は事実として認めるということも、弱者にとっては本当はつらいことなのよ」
「やっぱり護身の名人かも知れないよ。それにお前さん流の攻め手を持っているよ、たいしたもんだ」
「そうそう今それを聞いて想い出したことがあるわ。仕事場に小さな貯水場があってね、ドジョウやザリガニが沢山自然とふえるのよ。ザリガニは悪さをするので、田舎の人はいやがるのよ。この夏に小さなチビさん三人とザリガニ釣りをした話よ。内の人がね、その観察によると、ボスとおぼしき大きなザリガニ程、四隅に陣どっているんですって。隅の狭い処によ。後ろからの攻撃を受けることがない場所なのよ。他の小さなのはみな、途中の岩に横にひっついて、体を横に日向ぼっこをしているみたいに暢気そうなんですって。そしてすぐ餌に喰いついてくるの。四隅を陣どっているボスは、体が大きいのに実に用心深くて、餌に喰いついても、水から姿を現す瞬間に、ハサミをひらき餌を放すそうよ。あとは双方の根くらべになるそうよ」
「ボス程四隅を陣どると云うのは、お山の大将と一緒だね。ボスだから池の真中にいるのかと思うけど、違うんだ。隅にね、隅の捨て石でなく、隅のボスか。おかしいね」
「でもお母さんは私達家族のボスよ」
「ベッドの上の身動き出来ないボスか。ボスと呼ばれるのには、ふさわしい場所じゃない」
「私の人生の中では最大の接触者だわ」
「遠くに嫁いだら別だけでね。お前が結婚して以来、ずっと近くの暮しだからしょうがないよ」
「いやいやとは違いますよ」
「残り少ない接触だ、よろしく頼むよ。それに…」
「それになんですか、遠慮しないで云って」
「時には甘いものをよろしくと云っているんだ。本当に云わせるものじゃない。分っている癖に、わざと云わせる人は苦手だ。察しの悪い人、いろいろ事情があってと、わざと持って来ない人、健康の為によくないわと、すぐやめさせる人」
「お母さん、もう分ってよ。季節だから栗入りの和菓子、栗は一寸堅いかも知れないけど」
「大丈夫だよ。堅いのを歯のない口中全体でコロコロと動かすのも、老人の秘めた楽しみの一つだ、人にはあまり見せられないけどね」
「お茶はどちらにします」
「ほどほどの暖さなのがいゝね。玉露になるのかね。お互い黙って静かにモグモグ、これが一番だ」
 
 

2004

第5期 第10話 完



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