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| 娘 | 「ねぇ、お母さん、お母さんが死んだら、私生きてゆけるかしら」 | |
| 母 | 「なにを馬鹿なこと云ってるんだ。殉死はまっぴらごめんだ」 | |
| 娘 | 「そういう意味でなく、気落ちして、いきてゆけない気がするのよ」 | |
| 母 | 「生きぬく。最後の時が来るまで生きぬく、そうしないではいられないのが人間の生涯だよ。生命の定めで、現にわたしは寝たきりだ。頭が動くだけで他はなにも動かないのと同然だ。でも、死を迎える迄はこのままで生きぬくよりしょうがない」 | |
| 娘 | 「死だけが独りなのよね。生まれてくる時は母子一体なのにね。死は独りよ。むごいのね」 | |
| 母 | 「わたしが云うのなら分る。お前が云ってどうなるのだ」 | |
| 娘 | 「お母さん、怖くない」 | |
| 母 | 「わたしは健康そのものだ。病気ひとつしない。入院は知らずに老人になり、今はこうしているけど、おそらくこのまゝ衰弱死だろう。どこもかしこも衰えて、死の苦しみを考える余裕もなかろう。まあ、ありがたいと思っているよ」 | |
| 娘 | 「うらやましいわ。でも残された私らは淋しさこの上ないと思うわ」 | |
| 母 | 「それは耐えるより致し方あるまい。人みなそうして来ているんだ」 | |
| 娘 | 「その時にならないと、分らないわ。ショックは自分では計り知れない事実として、現れてよ」 | |
| 母 | 「いや、一過性のものだよ。又元気をとり戻すよ、そうできているんだよ。これこそお前の神さんがそうしているのと違うのかい、神さまのおぼしめしとよく云うじゃないか」 | |
| 娘 | 「たしかよ。唯、ショックのことを考えるといたゝまれなくてよ」 | |
| 母 | 「当り前として捉えなよ。急死の人だっている訳だ。いろいろ話もあっただろう。いいたいこともあっただろう。でも一言もなく、亡くなる人だって一杯いる。神さんはこの当り、むごいからね。それとも本当は力がないのかも知れないよ。思いのまゝに出来るなら、せめて最後の死を、有終の美にして上げられないもんかね」 | |
| 娘 | 「お母さん、神さまだけは疑っては駄目よ」 | |
| 母 | 「お前の話はよく聞いて分ってはいるけどついつい云いたくなる。でもいつの日かはそのような日がくるんだろうね」 | |
| 娘 | 「それも人間の浅はかさで、おしはかれるものではなくてよ。無駄なことは決してないと信じていますよ」 | |
| 母 | 「それなら、お前のショックの心配もなかろう」 | |
| 娘 | 「私は受け身の姿勢だけは出来ていてよ、どんなことでもね。でも自分に対して不安があるのよ。まだまだ弱い人間だからよ。分っているの。分っていてもその受けとめるだけの力が、その時現実にあるかゞ不安なの」 | |
| 母 | 「まあお前なら、以外と大丈夫だよ。しんはきついからね。そのきつさは身内のものだけが、心から味わゝされているよ」 | |
| 娘 | 「私は弱い人間よ」 | |
| 母 | 「人は大抵見かけによらないもんだ。お前は見るから病弱に見える。声も小さくて、聞きにくい。処が身内の者に云わせると、一番きついことを、小さな声で云い、その声がビンビン響くそうだよ。見かけ通りがいゝのに、見かけによらないというのは、苦痛を受けると云った者がいるよ」 | |
| 娘 | 「神のみぞ知るだわ。私は弱い人間よ」 | |
| 母 | 「まあまあわたしが死んでも、あまり悲しまず、そのあとは平穏無事であってほしいよ」 | |
| 娘 | 「時々聞く話で、身内の者が死に、そのショックで、その日の内とか数日の間に、また身内の者が死んでしまうことって本当に起こるのでしょう。それはすごいことに思えるの。ショックの大きさというものが、人為を超えてなにかを奪うという力にね」 | |
| 母 | 「脳の酸欠状態だよ。脳に血と酸素がゆかなくなったら、いっぺんだ」 | |
| 娘 | 「そう聞くと分りやすいけど、味けないもんになるわ。暖かい血を感じないわ」 | |
| 母 | 「お前はまだ死を頭でとらえている証拠だ。わたしはもう力が体からぬけてゆく実感を体験しているからね」 | |
| 娘 | 「気力と諦念ね。これは動物の写真家の話よ。野性の動物の写真を撮っている方よ。弱肉強食の野性の姿よ。強いものに襲われて、喉元をくわえられている時に、どうしてもがいて逃げようとしないのか、不思議だったんですって。きっとなにか諦めのような、身を天にゆだねるような、安らかな境地になっているに違いないと。弱い動物の目が、実にやすらかでうっとりするようなものがあるそうよ。その話を聞いて想い出したの。痛みの度を越えると、脳からその痛みをやわらげようとする物質が出るの。物理的に説明するとそういう事でも、そうではなく、それはやはり死のひとつの姿として捕えたいのよ」 | |
| 母 | 「それはそうだ。なんでも科学的に証明され、文句を云わせないような雰囲気は、困るからね」 | |
| 娘 | 「内の人が仕事場でチャボを、ながいこと飼っているでしょ。チャボのことなら小論文がかけると云っている程よ。そのチャボのボスの交代の時だったそうよ。一番優れたボスがいよいよ交代の時が来てね、下の見るからに、いろいろな処で劣る次期のボスに力でやられたんですって。あの人が好きだったボスが、あの人の目の前で立ったまゝ、崩れるように身を沈めて、死んでしまったそうよ。そんなことって、やはり起こり得るのね。立ったまゝ、崩れるように死ぬ…」 | |
| 母 | 「禅の坊さんみたいな話しだね。人間ではなく、チャボのボスがだね。たいしたもんだ、見上げたもんだ」 | |
| 娘 | 「死ぬと必ず死因を問うわね。学術的に、医学専門の言葉でね。あれいつも私は、違和感を持つのよ。気力喪失、極度の諦念、体力の限界、脳の自滅、そういうことの死因では駄目なのかしら」 | |
| 母 | 「わたしが医者ならそれでいゝね、賛成だ。私の死因はジ、エンドそれだけだ。外に書き入れることは無用だ」 | |
| 娘 | 「ジ、エンドね。それだけを書き入れるのね」 | |
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2004 第5期 第9話 完 |
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