第 5 期 第 1 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話

母と娘の対話 (二)其の三十一


「お母さん、一寸来れなくて、ごめんなさい。どうでしたか」
「どうもこうもないね。わたしは唯々眠り続けたよ」
「気分は」
「別に変りはない。もう変りようがないよ」
「そうなの、不変なの」
「不変とは云わないよ。人間だからね。唯感情の起伏が少ないから、不変としか云いようがない。砂漠かな」 イメージ拡大表示 650×461(45Kb)
「砂漠はないと思うわ。草原でしょう」
「お前は分ったような云い方をするね」
「お母さん、皮肉にとらないで。砂漠と云われたら悲しいわ。草原なら救われるわ」
母「なる程ね。ものは云いようだが、わたしは砂漠と云い、お前はそれではあんまりで、草原と云ってほしい、なる程ね。人のくい違いは、そんな処にあるのかも知れないね」
「受けとり方、表現のくい違いは、その人その人の今を現し、人間性も現すわ」
「そうだろうね。悲観的にとる人と、楽観的にとる人との違いは、歴然とあるものね」
「そうなのよ。どうして、それほどの違いが出てくるのかと思う程だわ」
「でも、なんでも一概に悲観はいけない、マイナス思考はいけないというのも、どうかね。マイナス思考があって、肯定も出てくると思うがね」
「私は前向き、前進とものごとを捉えて、マイナス思考は駄目よ」
「片寄っているんだね。わたしはもう歳だ。マイナス思考が悪いとは、全く思わないね。たしかに人は性格もあって、どちらかに傾くよ。でも良い悪いと云う判断ではなく、ひとつのその人流のステップと考えたらどうだ。唯安易に、前進々々という人より、自分のマイナス点、欠点をよくよく見える人の方が、あとあと伸びるということもあろう」
「私は自分が弱いから、マイナス思考に一度陥ったら、もう惨めなのよ。お母さんは解っているでしょう」
「そうかね。要は伸びたらいゝんだ」
「その通りなのよ。要は伸びないとね。生長あるのみ」
「たゞおもしろいと感づくのは、いつのまにかふっと、手の届かないと思ってたものに、手が届くようになっているということがあるよ。生長ってそんなものと違うかね。意識しても駄目だよ。自意識過剰は禁物だ」
「その辺は、難しいわ。人への姿勢ではなく、自分に正直に生きることゝ思っています」
「曖昧模糊でいゝんだよ。わたしはアイマイモコの内に、死を迎えるよ」
「お母さん、駄目よ。もっともっと頑張って」
「酷なことを云うね。これ以上頑張れと、第一頑張ってどうするんだい」
「私達の為にもよ」
「なんだお前達の為にかい。今更、脛をかじってどうする。もうヨボヨボでどこが脛か、わかりはしない。第一かじっても、なんのおいしいこともない」
「そうじゃなくて、お互い生長の生きた触れ合いとして、お母さんとの一刻々々は最後の最後まで、実に大事なのよ。終ったら本当に終ってしまって、もう終りなのよ」
「おかしな云い方をするね。一寸待てよ、一句出来た。終ったら、終ってしまって、終りかな」
「……」
 
 

2003

第5期 第1話 完



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