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先程から小さな川に、足をつけてじっとしています。通りかゝる村人が
「なんかいるんかね」と尋ねます。
「いや別になにも、気持がいゝですよ」
「この忙しい時に」とブツブツ云いながら、村人は遠ざかります。何人かに、そのように聞かれました。
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「いや別になにも」そう答えますので、つまらんと云わんばかりに、呆れ顔で去られます。子供達なら一緒になって、足をつけるだろう…「もう冷たいね」とか。その内に唯、足をつけているだけでは納まらず、なにかを見つけて動き出すに違いない。段々段々喜々として魚を追いかけ出すだろう。
今は独りです。水の流れは、見ていて飽きません。次から次へと、とめどなく流れ来て、流れ去る。こんな単純なことにも、おもいがどんどん引きつけられてゆく魅力があります。水音が心地よく、リズムになって全身を包んでゆきます。水面を跳ねる光が、目に眩しく、貴いものを見る目つきになってゆくのが分ります。何故かじーんと来た時、母の面影が浮かびました。
田舎に入ることを話した時、母が
「お前の好きなように生きたらいゝ。お前は小さい時から、人と競ることが嫌いだった。静かに生きたいなら、そうしな、それがいい」
と云ってくれました。人知れず生きる。どんなことでも人と競うことを避けて、自分なりに生きてみたい。
子供の時から、美術や音楽が大好きでした。人間の歴史の中で、どれだけ沢山のすばらしい力が、開花していることか。こんな絵をのこした人がいた、こんな音楽を作曲した人間がいたという事実が、なによりの原動力となって、身が引き締ります。洋の東西を問わず、大きな国、小さな国を問わず、人間の生み出した美の結実に、心ひかれます。もうそれで十二分で、その外になにを得たいとおもうことがありましょう。
日本の中でですか。何故か、父親像とだぶらせておもってしまう、雪舟と、蕪村と、華山、この三人がなにより好きです。じーんとくる静かさの中に美しさがこもり、力強いこと、その大きさの限りないことに心踊ります。
まだまだ沢山います。それぞれが生きたという証しに、遺してくれている宝庫には、限りがありません。仏教という教えのもとに生まれた数え切れない像や、絵の中にも、人間のすばらしさが無尽蔵にかくされているみたいです。仏教ということでなく、世界のいろいろな宗教のもとで、宗教心から生まれた美術に、人間のもつ本来性の深さが、よく読みとれます。現行の宗教間での争いが、嘘のような気がする程、それらの宗教心から生れる
べくして生まれたものには、人間の尊厳は、かくあるべきという慥かなものがあります。
音楽は、バッハとその生みの父と云えるブクステフーデがなにより好きです。たまらなく好きです。ブクステフーデ。他国のしかも遥か昔の顔も知らないこの人を想うだけで、こみ上げてくるものがあります。憶 。
ボチャン!という音とともに、水しぶきが上り、あっと吾れに返って見上げると、村の子供が立っていました。なにやら嬉しそうな悪戯そうな顔をして
「なにぼんやりしてたんや」と一撃です。
「こゝに来ないか、気持がいゝよ」
陽はまだ残っています。
でもその内に、夕焼空いっぱいに、すべてが染まり、見るものすべてを、茜色に染めて、秋のつるべ落としの名残りをのこして、消えてゆくことでしょう。自分が都会の喧騒から、家族、友人みなから離れて、独り山々に囲まれた田舎に居る。刈りとられてゆく田圃を周囲に、小さな川に子供と一緒に足をつかっている。このおもってもいなかった静かさを、やはり得がたい天恵と、おもわずにはいられません。
決してどんなことでも、人と競わず、与えられているだけをもって、事足りて自分を生かしてゆきたい。
鳥の群れが数羽、燃えた空を横ぎり、冷えてきた足先の冷たさに身がひきしまります。
第4期 第5話 完
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