第 3 期 第 29 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の二九



「お母さん、お母さんとの話の中でも、やはり食のことは多いのね」
「生き物だからね。しょうがないよ」
「食が中心」
「中心と云っても、そこを軸に、すべてが廻っているというのでなく、生きる根本の中心にあって、それだけでいゝと思うね。食をもて遊んではいけないよ。文化だと云って、 誇ったり、華美になる必要もない。人間だけが違う食の形態を、持っていると思うのはいやだね。人間らしいモラルの根本に食がある、それでいゝとおもっているだけだ」 イメージ拡大表示600×422(45Kb)
「そうね。もう食のことは終りましょう。でもお母さん、おかしく思ってよ。お母さんはベッドの上でじっとしていて、いろいろな食べ物が頭をよぎりませんか」
「お前、それを云わせたいのか」
「意地悪くではなく、人間飢えると食べものだけが脳を支配するのでしょう」
「さあ、人さまざまと違うのかい。唯さまざまの欲がよぎるだろうね」
「欲と二人連れよ」
「お前、そんなこと誰に教わった」
「人間はいかに欲が多いか、欲に支配されるかと云うことは、私達よく学んでよ」
「欲の皮つっぱるばかりだ。欲とは相談しない方がいゝ」
「欲の話もあまりしたくないですね。食と同じで、人間の生きる根本の原動力と見据えて淡々としていたいわ」
「欲は欲を呼び、その欲を得て次の皮がつっぱると云うのだろう。その欲を得て次の欲が出るものだろう。お前の顔はなんの欲もない顔に見えるよ」
「たしかに私には進歩はないわ」
「そんなことはあるもんか、みなそれぞれが穴なのか、山なのかどちらだろう、築いているよ。お前の築いてきた穴か山か、どちらか知らないが立派だよ。嘘じゃない、親が云うのだから間違いない。わたしらとは違う世代の中で、わたしが経験してない、弱いものへの共感を抱いて生きている、唯」
「唯、なに。云っていゝのよ」
「お前は四十を過ぎたら着物を着て、過ごしたいと云っていたらしいね。着物姿を夢見ていたら、着物には違いないが、寝まきだったんだね。単衣だ。寒さの時は毛布を腰に巻きつけてさ、頼んでやめてもらったそうだ」
「あーあ、なんで知ってるの」
「そりゃ、しかたあるまい。子供はいざ知らず、親は子供の話ならなんでも聞きたいもんだ。よく知っていて当り前さ。それにつけても、まさかお前が云う着物は単衣のゆかたとはね。わたしも気がつかなかった」
「私は質素なのが好きなの。華美は似合わないのよ。華やかにしてもとても似合う人っているでしょう。まるで舞台に上がっているようで、廻り中に花を咲かすようで」
「貧しい身形りで、舞台の上では立派に、人に感動を与える人だっているよ」
「私はぜんぜん違うのよ。出来るだけ静かに、目立たないように生きたいだけ」
「でもこの部屋に入ってくる時、一番目立つのはお前だよ。遠くから沢山の人の中でも、目立つのはお前だよ」
「それは意味合いが違う筈よ。わかっていてよ。少しは綺麗にしなよ、と云うことでしょう。若い時から云われ続けているので耳にタコよ」
「その云い方はないだろう。お前さんは綺麗にしたら綺麗なんだよ」
「お母さんその話はやめましょう」
「これも聞いた話だ。お前は相手がいろいろ云っても、その話はやめましょう、そのことはもう話さないでとか、やめてやめてが多いらしいね。少しは欲を持ちなよ。女だろう。綺麗にしてどこが悪い」
「お母さん、覚えていて。母子寮から同じように移って来た人の中で、小柄なおばあちゃんがいたでしょ。そのおばあちゃんが家族の者とは一緒に食事をしないで、庭の隅で、小さな鍋を使って煮たきをして、ゴザを引いて孤りで食べていたでしょ」
「見たことないよ、聞いたこともない」
「私はよく挨拶するから知っているのよ。でも、どういう訳で、そうするのかは聞いてなくてよ。自分もあんなことがしたいの。おばあちゃんのまゝごとよ。でもとても楽しそうな顔を何時もしていてね、普通ならどこかに、というより全面に、不平不満の限りが出ているものよ。出てもいゝのかも知れない。でもそのおばあちゃんは庭の隅で、ゴザの上にちょこんと座って、孤りで黙々と。繁りすぎている庭木の間に、おばあちゃんの姿を見つけると、おもわず、笑みがもれて、暖かい気持にされるの」
「その人はどうした」
「過ぎた昔の話になってしまったわ。あそこは全部とり毀されて、今は高層住宅になっていてよ。勿論もう亡くなっていると思います」
「そうかい。わたしはお前のいろいろなことを知っているだけで、分ってはいなかったようだ。お前さんのは無欲の大欲の部類に違いない」
「大欲、まさか……」
 
 

2002

第3期 第29話 完



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