第 3 期 第 28 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の二八



「お母さん、想い出すとおかしくなるけど」
「笑ってゝも分らない。なにを想い出したんだ」 イメージ拡大表示770×557(65Kb)
「食べ物よ」
「おかしなものでも食べて、気がおかしくなったかね」
「そうでなくて、小さい頃から家の食事の内容がほゞ決まっていたでしょう。そのことを想い出すとおかしくなるの。朝は納豆、昼は油揚げ、夜は豆腐と、極端に云うとそうだったでしょう。、勿論野菜は必ずあってよ。キャベツの千切りの炒めもの、茄子の煮物、ジャガイモと肉のいわゆる肉ジャガ、まだまだあることはあるわ。でもきまった料理のくり返しの食卓だったわ」
「まあ、わたしが仂いていたからね。食材豊富の手のこんだ料理とはいかない」
「私はそのことを想い出すと、自然と嬉しくなるの。実にいゝ食事だったと思うわ。油揚げを焼いて、大根おろしたっぷりで食べるとか、油揚げの上にみじん切りの長ネギを沢山のせて、七味たっぷり、醤油もたっぷりで食べるとか。油揚げのみじん切りにしらすいっぱい入れて、醤油でかきまわし、一滴ゴマ油を入れてとか。油揚げ一つでも簡単な即席の料理法が幾つもあって、そういう簡素な食事だったことが、今想っても嬉しいの。無上に嬉しいと云ってもいゝわ」
たしかにお前は変っているよ。そう云えば家にはフォークやナイフ、洋皿はあったっけ」
「それはあってよ。でもそんなものゝ料理より肉ジャガや、キンピラや筑前煮、ヒジキと一寸鶏肉を入れて油揚げと、やっぱり油揚げばかり出てくるわ。家の最大恩人は納豆、 油揚げ、豆腐だから、大豆ということになるわ。そうそうきのう久しぶりに目ざしを焼いて食べたの。口に含んでもぐもぐしたら香ばしい目ざし独特の香りと味に泪が出て来たわ」
「メザシを食べて泣く人があるかい。でも昔の日本の家庭はどこもそんなもんだと思うよ。特に家が特別でもあるまい」
「たぶんそうでしょうね。そうそうお母さんの帰りが遅くなった時など、近くの安い中華店にみんなでゆく。嬉しくてね、その時の八宝菜はすごい宝物のように思えたわ」
「わたしが食べ物を懐しく思うのは分るが、まだ若い、いや若くはないお前えがそんなに熱心に話すとはね。こりゃ心外だ」
「食通の話じゃなくてよ。贅沢な話でもなくてよ。根本的な食事のあり方の話です」
「根本的とはよく云うね。貧しかっただけだよ。すまんこった」
「違ってよ。嬉しいと云ったでしょう。本当のおふくろの味よ」
「動物の中では生涯、一種類のものしか食べないものがいるとか。あれは何時も不思議に思うけど、上げればいくらでも他のものも食べられるんだろう。それも絶対受けつけないのだろうか」
「私には分らないわ。お母さんの話はいつも動物が基準の中心にあるのね」
「当たり前だ、人間は同じ動物だよ。なんでこんな多彩な食事になってしまったのだろう。食は足りさえしたらいゝのに。それにわたしも想い出すよ。粗末なものを実においしそうに頬ばる人、この人等のことを想い出すと嬉しくなるね」
「私も同じなのよ。メザシを焼く、シシャモも焼く、サンマも焼く、それだけでもう嬉しくたべられてよ。そうお母さんのサバの煮付けは最高だったわ。もうあれ以上の味のものはなくてよ」
「なんだか、わたしはこりゃ、褒められているのかい」
「お礼を云いたいのよ」
「お前は変っているよ。納豆やメザシばかり食べさせられて、お礼を云いたいのかい。メザシと云えば、お前の家では子供が小さかった頃、イワシの天ぷらが名物で、それが二ツ三ツ各自の皿の上にのっていて、それを食べないと食事が始まらなかったね。男の子二人はおとなしいとは云え、よく従ったもんだ」
「イワシの煮干しはまとめて買うと、安いのよ。お金のある時。山程買っておいて、そうするの。子供の成長の為よ」
「それに月末には必ず一回は、おむすびだけの晩があったらしいね。のりもまかない。中身もない、塩だけでむすぶ、白いおむすび。其の時はおかずはなし。月末です、集金の人が来ます。忘れずにという無言の挨拶だったとか」
「その話はやめましょ。一体誰に聞くの」
「食の話は盡きないものだ。人それぞれの食がある、でも食の文化としきりに云うけど、わたしは食の文化という云い方、考え方は嫌いだね、反対だ。食はモラルの根本だよ。それで十分。人間の最低のしかも、根本の中心にすえて、それだけでいゝんだ。なにが文化だ。おぞましい。世界を見なよ、わたし等の知らない処で、貧しい国の人達、子供がどれだけ飢えて死んでるか。食が文化なら先進国と自負する人が、なんで文化の力をもって解決しないんだ。文化と云って浮かれてどうする。食は人間、人間だけじゃないよ、すべての生物の根本にすえられているものだよ。人間なら人間らしくみんなで解決してほしい」
「お母さん、そう私も思います、素直にそのとおりよ」
「お前、一寸空腹を感じないかい。小腹をほんの一寸満たしたくはないかい」
「分っていてよ」
 
 

2002

第3期 第28話 完



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