第 3 期 第 27 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の二七



「お母さん、人はそれぞれで又其の上にそれぞれの事情をかゝえているのね。つくづく感じるわ」
「今更、どうしたのだ。お前さんは一体いくつになったかね」
「分っていることでも、こと新ためて感じるということよ」
「それはそうだね。何故かということより、それが人生と割り切るよりしかたがない」 イメージ拡大表示433×600(41Kb)
「そうすることで、落着くわ。でも落着いたとしても解決とは違うわ」
「答えを出す必要のないことは沢山あるよ。結果を出す必要もないことも沢山あると思うよ」
「いろいろあって人生ですものね」
「人間だけのことじゃあるまい。生き物すべてと違うかい。もっと云えば、道端の石ころにだって、いろいろななりゆき、生きざまがあろう」
「人間は移動の範囲、行動の範囲が広すぎるので他の動物とは比べものにならないわ」
「でも、それがどうしたといゝたくなるね。本質はもっと違う処にあるよ。きっと」
「すごいことに遭遇したり、経験したり、異国の世界を見たりして、人生観が変ったという人がいるわ。でもね、絶対かというとそうでもなく、又元の人生観に戻っていることもあるそうよ」
「そりゃ、そうだろう。本質はそう簡単に変るものでもあるまい」
「変った人も当然ありますよね」
「それもそうだろう。変ったというより、もっと突きつめたら、初めからそうであって、変ってなかったかも知れんよ」
「なにかを経験することで、自覚を新たにするのよね」
「お前さんなんか、ぜんぜん変ってないような気がするが。赤ン坊の時から」
「赤ン坊の時からと云われたら、なんの進歩もない人間に思われてよ」
「お前は進歩という言葉が好きだね」
「誰だってそうなのと違う」
「どうだろう。あまり進歩、進歩ととらない方がいゝのと違うか。どうも進歩が偉いことのようにおもえていやだね」
「人間の本質の中には進歩を肯定するものがあってよ」
「うーん、一寸唸るね。どうなのか、分らん」
「すべてとは云わなくてよ。キリストや仏陀が道を説いたあの時から、人間はどれ程の進歩があったのかと問うたら、進歩々々とは云えなくなる面もあるわ」
「そうだろう。本質の部分では人間はそう変ってはいない筈だ」
「変化ではなく、刻々と効いていますよね。そこに様々の模様の移り変りはあるわ」
「そりゃそうだ。今のわたしから云えば走馬灯だよ」
「わ、いきなり走馬灯に来たの」
「この前みえた人かね。人間は今地球の破滅の時に備えて、火星に移ることの研究をしていると云っていた。呆れたね。人間より遥かに優れている地球を、自分達が破滅に追いやってだよ、今度は宇宙への星に移るんだって。それが進歩だとしたら、唯々呆れるだけだ」
「私ですら、それは神様の領域を越えたと云いたくなるわ」
「そうだろう。科学の進歩、医学もそうだろう、一寸、神さんの領域を越えた行為に及んでいると思うだろう」
「お母さん同感よ」
「お前、なにか嬉しそうだねわたしに合わせることはないよ。わたしは片寄った人間でいゝと思っているからね」
「無理に合わせようとは思いません。心底同感なのよ」
「人間は小さなこと、さゝいなことで幸せを感じる。それでいゝのと違うかい。隣りの隣り町位の処に、家族みんなで買物をして、食事をして、幸せを感じてそれでいゝよ。わざわざフランスへ行って買物をして食事をして、それが最高の幸せというのは不幸な  人だと思うがね。長い休みがとれたら辺鄙な温泉で、ゆったりしたいね。体のしんから暖まって、食事を頂いて、なにも外国にゆくこともあるまい」
「まあまあお母さんはお母さんの人生を送れて幸せよ。人さまざまよ」
「人さまざまか、初めに帰ったね。それじゃ、あとは一服あるのみだ。さあー」
「なにがさーなの」
「お前、察しの悪い娘だね」
「………」
 
 

2002

第3期 第27話 完



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