第 3 期 第 26 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の二六



「来てくれたね。お前さんの来るのを待っていたんだ」
「どうしたの、なにかあったの」
「なんにもないよ。背中を掻いでおくれな」 イメージ拡大表示431×600(51Kb)
「孫の手があるでしょ」
「いかん、もう孫の手も使えなくなった。どうでもいゝから早く掻いでおくれ」
「おかしいのよね。痒いと思うと、もう我慢が出来なくなるのよね」
「笑ってないで早くおし」
「ハイ、ハイ。こゝ」
「もうちょっと右だ、もうちょっと上、今度は下だ、もうちょっと左……」
「分るわ。右を掻くと左、上を掻くと次は下が痒くなるものよ」
「なんか気持がいゝね。ほっとするよ、なんでだろう。こんなことで幸せを感じるって」
「足をなくした方がね、足の先が痒いと云うそうよ」
「ほう、不思議な感覚なんだね」
「人間の脳ってどういう風の出来なのか、不思議だわ」
「たしかに神経や免疫は不思議な話ばかりだね」
「お母さん、神経にさわるかも知れないけど、孫の手も使えなくなったの」
「そうだ、手がまわせなくなった。もうおしまいだ」
「そんなことはなくてよ。今想い出したので話すわ。おこらないでね。河馬がね、あの大きな河馬が、木の株にお尻をこすりつけて、ごしごし掻いているのよ。真剣そのもの、でもその姿が可愛いったらないの」
「わたしも河馬になれというのかい」
「そうじゃないの。唯、急に想い出したから話しただけ。気にしないで」
「当然、自分で掻いていたものが、自分で掻けなくなって、子供に掻いでもらう。その子供も大きくなって、自分ではやって上げなくなって、どこかの土産に孫の手を買って来て、これで掻くと気持がいゝと、第一実によく上手に出来ていると手渡す。本人も感心する。孫の手とはよく云ったもんだ。まごまごしている内に、それもとうとう使えなくなった。こりゃおしまいだ」
「そんなことなくてよ」
「そうか、まだ奥の手の河馬の手があったか」
「………」
 
 

2002

第3期 第26話 完



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