第 3 期 第 23 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の二三



「私の家からこゝへ来る時、先づ川を隔てゝ山連が見えるわ。山科から宇治に向って。 イメージ拡大表示740×550(87Kb
その奥が滋賀。丁度京都の東のはてになるわ。山連を土手づたいに歩きながら見ていると、壁のように見える山にも、裾野への起伏があって谷が見えて、いくつかの起伏が裾で集まった処に、丁度塔があるの。醍醐寺よ。初めは全く気がつかなかったわ。でも一度分ると、こゝしか建てる処がないという地形に建っているの。感心するわ」
「お前達が大きくなって、母子寮を出なくてはならなくなった。その時京都のチベットとか云われていた、いや…わたしらが勝手に云ったかも知れないが、不便だったからね。こゝ醍醐の市営住宅に入った。それがこの地との関わりの初めだよ。お前は中学の終り頃だったかね」
「過ぎたことはあまり想い出したくないわ」
「お前はそうかい、そう云えばあまり懐かしそうな話を聞いたことがない」
「そんなことはなくてよ。私は唯、私だけの箱にしまっておきたいだけ。人に話すことはないわ」
「お前さんはどんな晩年を迎えるのだろう」
「さあ、お母さんのようにはゆかなくてよ。羨ましいわ」
「そんなこともなかろう。だが自分のことでありながら、自分の晩年ですら分らないというのは、人間とは寂しくできているね」
「分らないということはなくてよ。みな過去の結果よ。唯自分だけとはゆかなくて、家族、友人、知人とそして全く未知の人との様々に織りなす接点があるから」
「そうだね。わたしも、自分のおもいのまゝに、家の中をはいつくばってやろうとおもっていたのに」
「お母さん、勘忍。その話はやめて」
「お前、わたしらの家族にとって醍醐は懐かしいよ、いゝ処だし」
「お母さん、こゝも醍醐よ。今でも車椅子で、境内を一緒に散歩するじゃない」
「いやいやそうだった、すぐ忘れるんだよ。朝なにを食べたかもすぐ忘れる。食べたことが懐かしく思われるだけだ」
「なにを食べたか忘れてもいゝそうよ。食べたことそれ自体を忘れると危いそうよ。お母さんはまだまだ大丈夫だわ」
「お前の判断基準はそこにあるのかい」
「そんなことなくてよ。それもひとつの判断に過ぎません」
「忘れる、忘れられるということは、いゝことだよ。そうじゃないと生きられないことだってある」
「そうね。でも反省的にみると、忘れるという行為にも、人間の身勝手さは現われているわ」
「自分の受けた痛みは忘れず、他人に与えた痛みはすぐに忘れるというのだろう」
「それもその通りだと思うわ。外国の人から見ると日本人は、自分の痛みも人に与えた痛みも両方忘れる人種らしいわ」
「戦争の痛みを忘れ、アジアの国々の人に与えた痛みを忘れる。われながら情けない国の人間なんだね」
「新聞で知ったの。アメリカによる原爆投下はやむを得なかったという人が30%も居るんですって」
「本当かい、30%も。日本人がかい。信じられない数字だね」
「アメリカの自身への弁明として、投下はやむを得なかったという身勝手を、そのまゝ受けて容認しているだけよ。深く考えてないことよ」
「わたしらは広島の出だ。朝鮮から引揚げて来たら、広島は無残な姿になっていた。お前の長男は、広島の人と一緒になった。祖父母の人は被爆し、おじいさんはその時に亡くなり、おばあさんの胎内被爆で、今のお母さんが生まれ、娘さんが生まれ、長男と一緒になり、子供…わたしのひ孫が三人もいる。連々とした歴史があるね」
「おもえばおもう程、因縁があるのよ」
「嬉しい因縁だね。お前も大事にして生きないと申し訳ないよ」
「分っています」
「ところで、これは聞いた話だが、孫が生れてお前は抱こうともしなかったらしいね。情が移るのがつらいとか云って、距離をおいていたとか。それが今では、孫の方が京都のお母さんと云って、なついている。お土産を絶対買ってくれないお母さん、お菓子を絶対くれないお母さんと云いながらなついているそうだね」
「誰れに聞くの。でもその通りよ。私は誰れに対しても、私を押しつけたくないの。情をからめたくないの。その人その人、その子、その子の性格があって、人格があって、触れるのもこわいわ」
「お前さんは馬鹿だね。そう云いながら、お前さんの個性は強烈で、相手にはチクリ、チクリだよ」
「チクリ、チクリってなんのこと」
「わたしゃ、ポクリといくかね」
「………」
   
 

2002

第3期 第23話 完



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