第 3 期 第 14 話

今思えば、あるかなしかの うつゝの話
母と娘の対話 其の十四



「ねぇ、お母さん、この頃つくづく思うのよ」
「またまた神妙な云い方をして、一体なにかあったのかい」
「別になにも変ったことはなくてよ。そうでなくつくづく思うだけ」 イメージ拡大表示434×600(24Kb)
「なにがだね」
「長生きする人は、根の張り方が全く違うんじゃないかと思うの」
「わたしは動いて動いて動きまわった人生だったような気がして、根を張るようなことはなにもしてないけど」
「またまたその手には乘らないわ。私は草花が好きで鉢植えを沢山しているでしょう。根の張り方ですべて分るのよ。あー人間も同じなのだと、この頃やっと分り始めたのよ」
「そうだったね。お前は草花が大好きだったね」
「心がやすまるのよ。どんな野草でも、ひとつひとつ実に見事な美しさを持っているの。 知れば知る程、不思議な程よ」
「根の張り方もみな違うのかい」
「いろいろあるわ。唯、鉢植えなので、大地に根をおろしたような訳にはゆかないので、世話する人次第の限定性があるの」
「わたしはすぐ枯らしたね」
「お母さんは忙しかったから無理がないのよ。水のやり方が一番なの」
「草花を慈しむ心は、わたしには欠けていたね。お前はその点、やさしい心づかいが出来るんだ」
「慈しむと云われると、一寸恥かしいわ。人間は横柄な処があるのよ。鉢植えそのものもその現われとも云えるから」
「生花はしないね」
「一寸私なりの訳があってね。していません」
「お前は神経がデリケートだからね。そうそう昔のことを想い出した。宣教師のアメリカの老婦人がいらしてね。背がひょろりと高く、いつもアメ玉をポケットに入れていて、会う人に必ず「愛のしるしです」と云って一つ渡していた。ふいのことで口に含むと、その甘さがなんとも嬉しく人柄とともに頬がくづれた。日本で一番初めの幼稚園をつくったと聞いていた。その老婦人の宣教師が、人から花を戴くと、花を楽しみ、花が終っても実がつくまで、実がついても枯れる迄、眺めていたそうだ。感心したね。美しい時だけを愛でるという生花は、その老宣教師には出来なかったらしい」
「人によるのよ。次に鉢植えも可哀相、やはり地に根をおろしているのが一番よ。でも面倒見ということでは鉢植えが大変なの。水のやり方、肥料のやり方、置き場所、どれもみなその人次第になるのでこわいわ」
「わたしは草花の面倒で、こわいという感覚の経験はないね。お前との大きな違いかね」
「さあ、考えたことないわ。お母さんは外の仕事で忙しかったからだけのこと、と思うけど」
「でも草花を育てゝいる人はやはり、優しさのある人だと思うよ」
「そうかしら。唯目を奪われるだけよ。芽が出てくる、もう赤ン坊が生まれたようなものよ。嬉しく、いとおしくて、心を奪われるだけよ。長じて花を咲かせようとし、実を結ばせようとし、必死の営みが手にとるように分るの」
「お前さんの顔を見ているだけで、どんなかよく分るようだ」
「水をやり過ぎると根が枯れるわ。やらないと根を張るけど、限られた場所なので、いき苦しくなる程よ。とても可哀相で見てられないわ。太い根と細い根とのバランスよい姿が、見ても気持よく、草花の為にも最適なのよ。お母さんは太い根と細い根のバランスが抜群なのだと思うわ」
「吸収力はいゝと思うね。親のお陰だ。粗末なものでも栄養になっているみたいだよ」
「吸収力と云われると、一寸頭が痛いわ。でもこれは現実なのよね。みんなが同じ一つのものを食べても、同じ教育を受けても、血となり肉となる吸収力は人みな違うのよ」
「お前、学校の成績のことを想い出したのかい」
「そうよ、姉二人が成績良すぎたから」
「学校の成績なんか屁の河童だよ。どうだっていゝんだ。それにしてもお前さんのは見事に」
「認めます。吸収力は親からの贈り物よ」
「わたしに振ってどうする気だ」
「よく云われてよ。敗戦と引揚げの時に赤ン坊だった君には、良質な蛋白質が欠けたのだ、と」
「今度は蛋白質に振るんかい」
「私には罪はなくてよ。やはり水やりが問題で、根の張り方が……」
「………」
 
 

2002

第3期 第14話 完



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