|
| 娘 | 「お母さん、お母さんが亡くなると、本当にお母さんの時代は終ってしまうのね」 | |
| 母 | 「又いきなりきたね。お前は奇襲攻撃が好きだね。小さい時からだよ。主語も述語もあったものじゃない、いきなりくるね。ジャブだね」 | |
| 娘 | 「あら、ボクシングなんか見るの」 | |
| 母 | 「あれは悲惨なスポーツだ。見たりはしないよ。だが言葉ぐらいは知っている。ところでお前の方の東京のお母さんが亡くなった時 | |
| は、わたしもあーあ、ひとつの時代が終ってしまったと、つくづくおもった。寂しかったね。わたしより一つ上の歳なのに残念なことをしたね」 | ||
| 娘 | 「それは運命よ。でも最后は寂しかったのかなと思うと、今だに胸がつまるわ」 | |
| 母 | 「そうだろう。わたしが死ねば、今度はお前の時代だ」 | |
| 娘 | 「いや、私にはまだ一つの時代を生きたという重みも実蹟もなくてよ。まだまだそれは先の話よ」 | |
| 母 | 「それはいかん。人の運命なぞ分からない。どうなるか一寸先は闇だよ。暢気にしていては駄目だ」 | |
| 娘 | 「でも一つの時代が終ったという実感の重みはやはり、人生長いこと生きて、生きぬいて生まれるものでしょう。誰でもそういう感じになるとは限らないわ」 | |
| 母 | 「わたしはね、人はその人その人の時代を背負っている可愛想な存在に、みえる時があるよ。たとえ若死しようと、その人が生きた証しは貴いものだ」 | |
| 娘 | 「それは分かるわよ。でも一つの時代としてとらえる時、お母さんは一世紀に近いのよ」 | |
| 母 | 「お前、わたしゃまだ死んでないよ。九十三だ。百を越えるかもしれないよ。一世紀越えるかも」 | |
| 娘 | 「そうね、ごめんなさい。お母さんはすさまじい時の変動を生きぬいたわ。しかも朝鮮半島への移住、結婚、敗戦、引き揚げ、原爆による実家破壊、幼児三人の育児、そのどれ一つをとっても、もうすごいことで、私にはとてもとても、頭が下がるわ」 | |
| 母 | 「どの時代に生きられるかも、その人の運命だ。わたしにはどうしようもない処で、動かされていただけだ。偉いなど、微塵も思ったことはない。戦争にかり出された男の人の中には、つまらない時代を生きてしまった、というおもいになる人もいると聞いた。その通りだと思うよ。戦争なぞというおぞましい、しかも当時の日本として、馬鹿々々しい程の挙動に出て、あたら青春を棒に振ったんだからね」 | |
| 娘 | 「私らの青春とは雲泥の違いよ」 | |
| 母 | 「でもその人等が、長く生きてくれたら、それはそれで新しい自由の時代を生きられたから、まあまあと思うがね」 | |
| 娘 | 「江戸時代だったら」 | |
| 母 | 「また来たね。考えたこともないけど。仮にどの時代であろうと、苦しみは多く、束縛ははかり知れず、やはり悲しきことのみ多かりしとは違うのかい」 | |
| 娘 | 「そうなるとあの世のことも考えるわ」 | |
| 母 | 「そこは違うね。今の世は今の世で十分だよ。どんな時代であろうと、自分なりに生きぬいたら、それで十分だ。あとは後世の人に手渡す。わたしの次はお前らの時代だ。勿論、わたしの前はわたしの母親で、この母のことなど思ったら、わたしの生活なんか恥かしい程、平穏無事と云えるかも知れない。そんなもんだよ」 | |
| 娘 | 「段々質は落ちて行くようね」 | |
| 母 | 「そうともいえるかも知れないね。おかしなもんだ。どんどん進化しているのに、生きたという気配は、昔の人の方が濃厚だ。おかしいね。どうしてだろう。わたしはもうお役御免だ。お前さん頼むよ、一寸甘いもの口にふくんで、一寸おいしい緑茶を口にふくんで、あとはお前だ、お前だとおもいながら、ひとねむりさせておくれ」 | |
| 娘 | 「………」 | |
|
2002 第3期 9話 完 |
||