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なっちゃんは今年の春には、小学一年生となります。今は、弟二人と町の保育園にかよっています。いゝ子です。生まれてからこの方、こんなに笑うことの多い子がいるだろうかとおもう程、笑います。心から笑います。老人である私もまたつられてこころから思います。
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 「なっちゃんはなっちゃんらしく、もっともっと全身から笑って」
その全身の笑いの中から、なっちゃんのなっちゃんらしい人間像が出来上がってゆくに、違いありません。
朝、保育園に出かける忙しい食事の時でも、「大きな声を出してみようよ」といゝます。なっちゃんは勿論一番に大きな声で「あーー」と叫びます。弟二人もつられて「あーー」と。「もっと大きな声で!」三人は顔を赤くして、ほんとに大きな声で割れんばかりに、「あー」と叫びます。
老人は嬉しくなります。決して豊かではない質素な生活の、この家の綺麗とは云えない食堂から発せられる大声が、天にとどけとばかりに鳴り響くこだまが喜々として踊らんばかりです。
そんな日々の続く中、なっちゃんの受け持ちの先生が、母親との話の中で、小学校に入ったら心配だからと云ってこんな話をもって来ました。なっちゃんは、みんなと一緒に歌を唄うとき、間違って唄うのでそこを指導すると、「なっちゃんの好きなように唄わして」と云うそうです。またみんなが外に出て行動しようとする時も、「なっちゃんは今、本を見たいの」と云って外に出ないときがあるそうです。今ならこれでいゝのですが、小学校に入ったら、それは許されず結局は本人が困るのだから、今からちゃんと心がけたらと云われました。
「なる程」と老人は思いました。なっちゃんのなっちゃんらしさはこんな形になって、現れて来ていることもあるのだと思いました。でもそれはなっちゃん自身が最終的に決める問題で、親や廻りが強制は出来まいと思います。自己を主張するのではなく、自分は自分らしくありたいとの希いであっても、他人に不快を与えたり、迷惑におもわれる事態を、なっちゃん自身が気がついたら直してゆくに違いないと信じます。他人との同調の中には優しさが必要だと思います。なっちゃんの好きなようにしながら、それは本質的に変えずに持続させながら、他を思いやる優しさが、結局は本人を変えると信じます。
老人は老人性の習慣で、真夜中に目が覚めて子供達のあれこれを楽しく思いながら、静かなひとゝきをすごしています。
そうだ、あすの朝はまた大きな声を聞きたいものだ。腹の底から出す明るい響きは、彼らチビさんの全身を包むだろう。それは強いバネとなって、いずれ強靱なバネとなって、良い支えとなって彼等チビさん達を生長させるだろう。
何故か、一歩一歩という言葉が強くよぎります。赤ん坊の時の一歩から、次の一歩へとそして又次の一歩へと。
2001
第2期 第8話 完
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