第 2 期 第 7 話
白鷺の残影



少年は先程から動けません。眼前の山に吸いこまれるように、じっと一点を凝視しています。それは鼓山と呼ばれている低い里山です。丁度少年の家から見る鼓山は、おだやかな稜線が中程でこれまたおだやかにくびれ、両すそ野へと広がっているのです。見る角度によって、その鼓山は姿を時に一寸けわしく、又こんもりと一山にも見えますが、少年の家あたりから見る鼓山が一番美しく、鼓山らしく見えるのです。
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少年が動かずに、じっと見つめているのには訳があるのです。
ぼんやりとですが、一瞬自分の視界のはしを、白いものが横切りそれは丁度白い残影の筋をのこしながら、鼓山の一点に静止したのです。間違いなく白い残影です。感覚的に多分というものではなく、もっとはっきりとした映像として白の残影は横切り、そして一点に止まったのです。緑の山の一点のみが白く白く、くっきりと浮き上がっています。意識すればする程、その一点はまこと際立ち、不思議な思いになります。個としては見定めのきかない距離ですが、白の際立ちはまことあざやかです。なんだろう。花ではない。少年は動けません。唯じっと凝視しています。
緑と云っても実に複雑にして多彩な配色を、少年は初めて知りました。今程にこれ程じっと、緑の山肌を見つめたことはありません。浅い緑から濃い緑。緑から黄色がかってゆく緑。緑から赤味が加わる緑。緑から青味が加わる緑。緑から赤味が加わり黒になってゆく緑。少年は唯々、感嘆します。一つの山がこんなにも深みのある緑に包まれていたのです。又見つめていると平坦な山がどんどん深くなって、谷が見え起伏のはげしさが分かって来ました。傾斜も深く浅く、なんと豊だったのか。
木々にもひきつけられます。処々に松があり、植林の杉や檜があり、枝ぶりや色の濃淡のあざやかな雑木が、いくつもいくつも目に鮮明になってきます。民家の裏にはその家のおばあちゃんが「決して切ってはならぬ」と云った大きな大きな堅木が民家をおゝいつくしその何倍にも枝々を広げて、こんもりとしています。
おや、とおもいました。今迄平面の画面のようにおもわれていた山肌が、木々の緑の違いをそのままに、動いているのです。少年が立っている家の前では、ほんのさわやかにしか感じられない風が、見つめている山ではもっとはっきりとした大きな波動となって、動いているのです。時に片方から片方へ、また下から上にと、木々の緑達が動いているのです。いや、話し合っている、何かを語り合っているとしか見えません。杉や檜の木々達が幹ごと揺れ、雑木達はおそらく声を出して揺れています。自分だけが今迄知らなかった木々達の語らいがあったのです。離れているので音は一切聞こえません。しかし、はっきりと分かりました。木々達はそれぞれに語っています。大きく揺れ、又小さく揺れ、また小刻みに、こゝで揺れあちらで揺れと、いっときの休みもなく動いています。木々達は風と一体となり、風にのって語っています。少年はドキドキして来ました。嬉しさがこみ上げて来ました。
其の時、山全体が大きく揺れるようにそれぞれの木がうねりました。強い風のようです。すると今迄動かなかった白い一点が、一本の線のように、ふあと浮かび、山の頂近くまで舞い上がったのです。
それは白鷺だったのです。風にのり唯翼をひろげただけで、いとも軽やかに緑の木々を背に舞い上がったのです。

少年の不思議がとけました。はっきりと目は見ずとも、白鷺の飛行が少年の目の内をかすめ、一本の白い線として、山の緑の中の白の一点に納まったのです。少年はじっと立ちつくし、その不思議が溶けました。自然ににっこりとしました。嬉しさは自分だけの小さな嬉しさかも知れません。しかし木々の語らいが生き生きと少年の全身を包んでくれました。
木々の語らいの余韻が少年の頬に、ながく触れていました。緑の中の白の一点とともに夢のようにゆらゆらと揺れていました。

2002

第2期 第7話 完


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