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山鳩は二度と戻りませんでした。
老人が都の陋巷から、丹波の農家に窯を移したのは、今から十二、三年程の前のことでした。薪を焚くには是非とも田舎がよく、陶房の裏が山になっていると、なおのこと都合がよかったのです。どんどこと出る黒煙は、木々の中にすいこまれ、火柱ですら柔らかくすいこまれました。
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その丹波の地は、コブシの自生地で、春には低い山々が質素な白に点々と花咲くのでした。夏は山椒の実がたわわに実り、秋ともなれば田圃を染める一面の曼珠沙華、そして、冬、ひっそりと雪の中に埋まるのです。やはり自生の南天の朱が雪の中に顔をのぞかすのです。
老人はもとより、そんな自然になにより、心なごみましたが、実はもっと驚いたことがあるのです。それは山鳩が身近にいる、人を恐れない、淡々としているということでした。小さな菜園はもとより、窯の側にも来て、老人が歩く二、三歩前を、ちょこちょこと平気な顔して歩くのです。手さえさしのべませんでしたが、老人がそしらぬ態でいると、決して山鳩の方から近づくことはありませんでしたが、やはりそしらぬ態でいるのでした。
山鳩の姿の美しさ、利口そうな小さなキュッとしまった頭からの線は、首すじのえも云われぬ青と緑かかった薄い灰色の斑によって強調され、地味な羽の全体へと流れてゆくのでした。絵にも画きましたが本物にはくらべるべくもなく、あきらめて当然でした。
そんな感動の日々の中、あのことが起こったのです。
窯詰めの仕事で、作品を窯に詰める為、窯の中に体を入れたりだしたりしている時、なにやらガチャガチャと鳴り、羽をバタバタさせている音が聞こえてきたのです。音ははっきりと強くなりました。老人は音の方に近づきました。音は隣の農家の鶏舎の前の低い土手からでした。山鳩が罠にかかり片方の足がはさまれていたのです。老人は顔面蒼白になり若い者を呼び、山鳩を両手でおさえさせて、罠をはづしにかかりました。それは堅く、力づくでやっとはづれる程でした。その痛さが分かりました。しかし山鳩は鳴くこともなく、放してやると近くの藪の中にバタバタと倒れこむように姿を消しました。
その時、治療のことはおもいもよりませんでした。恐ろしい目から早くとき放たれることだけをおもっていました。もうこれ程のキズでは生きてゆけないに違いないと思いました。
それからどれ程の月日がたったでしょうか。山鳩の姿は現れませんでした。老人は裏の山に入ってみました。
桧や杉が処々に混り、竹が太く真直ぐに伸び、雑木が繁り、背の高い樫やぶなの樹々がありました。山鳩はいました。ぶなの高い枝に静かに、胸をふくらませてじっとしていました。老人はぶなの太い幹に背をもたせ、目をつぶりました。
「山鳩さん、もう痛みはとれましたか」
「はい、すぎてしまうと嘘のようです」
「災難でしたね」
「いや、私は災難と思っていません。いつかは自分でなくとも他の誰かゞ、というおもいはありました」
「噫、それは・・・・」
「私達にはなんでもよく見えるのです。あそこに罠があることも知っていました。唯、鶏小屋の外にこぼれていた餌についつい気をとられ、罠のことは一瞬忘れてしまったのです」
「どんなに痛かったことでしょうね。心の痛みとともに
」
「いや、今にして思えば来るべきものが来たのです」
「そんなことは云わないで下さい」
「人が野の幸、山の幸を求めて山野に分け入るように、私達も人里の幸を求めて近づきすぎたのです。昔、私達の仲間の白子鳩さんや、青鳩さん達は農家の軒に巣をつくり、雀さん達も当然の顔をして、家のあらゆる処に巣をつくりました。これは今や昔の出来事です。
住む世界が違うとは思いません。ともに居て良いと思います。お互い気づかいもせず、それでいいのだと信じていました。しかし、花壇の花があり、廻りのものは雑草として、引きぬかれるのとなんの変わりがないことが分かりました
」
「噫 ―」
老人は立ち上がりました。山鳩はなにごともなかったように静まりかえり、微動だに致しませんでした。こんな静かな姿があろうかと身がこきざみに震えました。
そして、その数日後の夕焼けの残る空を、二羽の山鳩が一直線に矢の如く、田畑を横切り深い山に消えてゆきました。
老人は思い浮かべました。あの静謐に満ちた上品な山鳩の姿を。そして大好きな絵として、ある国の高帝が画いたという山鳩の姿が、そして其の絵とともに必ずのっている若い貴人が朱の衣をまとい、笛を腰に指をたてている姿とがだぶり、山鳩が貴人なのか、若い貴人が山鳩なのか、分からなくなりました。
山鳩は二度と戻りませんでした。
2001
第2期 第1話 完
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