第 1 期 第 9 話
犬君と猫さんのぬくもり



片田舎の陶工の家にいる犬君と猫さんの話です。
イメージ拡大表示 800×560(29Kb)
小さい小さいときから一緒ですが、犬君は勿論自分が犬であり猫でないことをよく分かっています。猫さんも自分はほこり高き猫であって、犬君とは決して同じでないことをよく知っています。しかし、ずっと一緒に育ち一緒に生活していますから、犬君の中には猫さんが住み、猫さんの中には犬君が厳然と存在しているのです。姿、かたちは違いますが、もうどちらでもいいかなとおもうことがあるのかも知れません。実は二匹ともそういう老境に入ってしまったということなのです。
犬君は猫さんを見て、老けたなとクスッと笑います。猫さんも犬君を見て、あの若い時の雄姿は何処へ行ったのかしらと、クスッと笑います。お互いが鏡の中の自分を見ているようなものです。でも静かです。若い時はあれ程、お互い触れあいかまい合わずにはいられなかったのに、いまはどうでしょう。お互い手の届くところに寝そべっているのにちょっかいを出そうともしません。横目でちらっと見るだけです。見るだけで十分なのです。そんな馬鹿なと思うでしょうが、ちらっと見るだけで分かるのです。いや、見なくとも呼吸を聞くだけで分かるのです。いや、もっと正確に云えば相手の出す電波のようなぬくもりが、波動となって、かすかにかすかに頬をなでる。それで十分なのです。そのかすかな頼りなげな頬を打つ波がなにより心地よく安堵の全てなのです。
もとより犬君だって今より少し前迄は、自分の若かった頃の勇姿を思い、独り悦に入っていた時があります。季節がくると何処までもいつまでも、誠疲れることなく、倦むことなく行動したものです。その頃のことをおもうだけで内になにか力を感ぜずにいられません。しかし近頃は、それすら薄らぎ、もう過ぎしことはあまり思いません。猫さんだって全くそうです。若かりし頃は、はりさけんばかりの均整のとれた肉体があり、バネがあり、犬君がふざけて追いかけた時など、壁を垂直に登り、勢い余って天井を逆さに走り、いっきに床におりたったのです。犬君は呆然とし、そして感激し惚れたのです。猫さんもその時の犬君の感動そのままの顔を忘れません。何と純な処があると、胸をあつくしたもです。
そんな二匹なのに今は横にいても、別に感動もありません。いやその必要がなく、なにかこと足りているのでしょう。

 

秋が過ぎ、冬に入ろうとしています。冷たくなってきた風が体をかすめます。自分の身体もひえてきている筈なのに、この冷たい風が心地よく感ぜられます。しかし無意識の内に一寸だけ近づいてからだが触れあいました。やはりまだ暖かいものだと変に感心します。何がありがたいかと云って、ぬくもり程ありがたいものはないのです。あつくはいりません。ほんのぬくもりでいいのです。犬君は今、幸せという感じではなく、安堵の中にいます。今までにない嬉しさが 内からこみ上げて来ています。それは新しい自分の発見なのです。今迄見えなかったものが見え、今迄聞こえなかったものが聞こえてくるという不思議な体験なのです。いや若い内でも見え、聞こえていたもののそれに気がつかなかったというそういう事柄でなく、老いて初めて気がつきはじめる、体得できるということなのです。赤ん坊の時の誰が見ても、ほほえみが湧き出る、あの生命感と同じように、老いてはじめて生まれてくる生命感なのです。
犬君は身動き一つせず、寒さは気になりながら、心眼を開き、耳をそばだてながら風に触れています。自分の未生以前のこと、言葉では論理的に何もいえませんが、宇宙開闢の風と光の中にまで分け入っているのです。本当のことなんです。あらゆる生命体そのものはそうして命をおえ、無に帰れるのです。そしてその無としか言い得ない処から又一つの生命がうまれるのです。冷たい風を受けながらその風に乗って、若い時をへ、こどもの頃の時をへ、母の胎内を通り、広い広い空間に、ここは以前にも来たような覚えのある処にいるのです。又光を得、さんさんと降りそそぐあふれんばかりの光の中にあって、その光がどんどんせばまり、一点に凝縮され、小さな小さな真円になって、回りは真暗なのに真円はもうまばゆい程に輝きだし、自分の全体がその一点にすい込まれるのです。

犬君は体全体が暖かくなるのを感じました。こんなおもいは自分が老いたからこそ体得出来ると、何故か嬉しさがこみ上げて来ました。自分は未生以前にたちかえることが出来、今たった独りなのにこの暖かさ、ぬくもりはなんという得がたさだとおもいました。腹の底からぬくもり、老いた体中に広がりゆく生命力。

 

気がつくと、犬君の大きな体の下に暖かく猫さんの体が完全に入りきっていました。
猫さんがいいました。

  ニヤニヤ  
あなた今、 ニコニコ していましたね

「・・・・・・・・・・」

2002

第1期 第9話 完

第1期目次へ

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話
第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話
第13話