作陶と雑用にあけくれる老人にとって、なにより心をほぐしてくれる存在として、三人のチビさんがいます。今その三人は町の保育所かよいですが、明るく楽しく忙しく、まこと老人の生きる骨幹とも云えるかも知れません。話したいことだらけです。それぞれの人格の上にそれぞれの性格の違いをみせて、向上してゆくチビさん達こそ目を見はる存在なのです。小さな田舎での平凡にして質素な生活の中で、こんなことがありました。あんなことがありましたと話したいのです。
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上の女の子なっちゃんは利発で、行動力があり見知らぬ人にも声をかけ
「こんにちは、いまなにをしているのですか」
と近づき相手の人をびっくりさせています。公園のベンチの若い人にも、道路工事の人にも近づいていって
「こんにちはいまなにをしているんですか」とやるのです。
昨日も保育所の帰りに文房具屋さんにより、その前が肉屋さんですので、やおら肉屋さんのおじさんに
「あのイノシシはどうしたんですか」
と聞きに走りました。先日、 店の前にドカッと置かれていたイノシシのことを想い出したのです。イノシシが店の前にそれも多いときは数頭も放置されているのは、ここ丹波の冬の風物詩なのです。初めて出会った人は度肝をぬかれますが、死んで横たわるイノシシは静かで体に似合わず細くひきしまった爪先は美しく、切れながに閉じられた目元はすずしげで、野生の動物の死への諦観というのか、我々人間にくらべてのいさぎよさを感じたりします。肉屋のオジサンは云いました。
「みんな食べちゃったよ」
女の子の心中は分かりません。子供心の問題として、こうして生長してゆく以外にないのです。限られて与えられるものとしか触れずに生長するというわけにはゆきません。直接、間接にいろいろなことに出会い、その中でその子としての形成が、無言の内にもなり立ってゆくのだと思います。今女の子のたくましさと優しさの入り雑じった出来事を想い出します。
冬の間、飼っているチャボがイタチにおそわれることが度々です。その都度その都度、いたたまれない気持ちで小屋をより完璧にと手直ししてゆくのですが、どこから進入するのかわからない程、イタチゴッコのくり返しでやられます。この時も、真夜中悲愴な断末魔の声を残してオスのチャボがやられました。翌朝しらべると金網の隅からひきずり出そうとして出来ず、首だけなくなっていました。
老人は梅の木の根元に穴を掘りました。この梅の木の周りの畑にはこうして死んだり育たなかったヒナや寿命のつきたオス・メスを一体どれほど埋めたでしょう。前に埋めた位置をおそるおそるたしかめながら穴を掘るのですが、前の骨に当たったことはありません。モグラや地ネズミが綺麗にしていると老人は思います。きっとそうに違いないと思います。そうした自然の摂理をおもおうとしています。
女の子が老人の穴掘りを見つけて
「なにをしているの」
とかけつけます。老人は丁寧にありのまま 昨晩おそくあったことを話します。
「手伝ってあげる」
老人が気がつくと、女の子は首のないチャボをそおっとかかえて、穴に近づきました。一瞬、老人はどきっとしました。そんな時老人は軍手をします。今女の子は素手で、首のない血のかたまっているチャボをかかえているのです。
「一緒に埋めてやろうね」
「うん、うめてあげる。かわいそうだもんね」
女の子は大きくなったら花屋さんになるが口癖で、又虫が大好きで、どんな虫でもつかまえてきます。見ているとつかまえる時の動作はさりげなく早く、トカゲもあっという間につかまります。ダンゴ虫は手の中いっぱい、オタマジャクシもバッタも蝉のぬけがらもと、触るのが苦手な弟二人を尻目にたいしたものです。
老人は今またくり返し思います。
「みんな食べちゃったよ」
チビさん達は、チビさん達の心をもって生長してゆくのです。大人が教えるのには難しいことも、ちゃんとした心をもって受け止めている筈です。そう信じて今、生きているものに対して、そして死んだものに対して、優しい心を持ちたいのです。
2002
第1期 第4話 完
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